Stop Copy-and-Pasting Press Releases

前々から思っていた事なのですが、この度、音楽とは全然別の業界の記事で目にした
『当該業界のメディアが、”メーカーの出したプレスリリースを
ほぼそのままコピペしただけのような文章で堂々と記事扱いにして配信している”
事に対し、メーカー側は少なからず不満を抱いている』
という記述。これがあまりにも音楽業界と同じだな、どこもそうだよね、と感じたので
この機会に記事にしときます。

ご存知の方も多いとは思いますが、日本に限らず、音楽系のメディアにおいて
レーベル、アーティスト側のプレスリリースをそのままコピペないし大部分をコピペ、
もしくはほんの少し、あってもなくても変わらないレベルで手を加えたり、
申し訳程度の追記をして、いち記事として公開するというのが常套手段になってます。
特に酷い所だと、もはやその手のポストばっかりで、そのくせ広告の掲載はバッチリ。

こういうの目にする度に、気が滅入るというか、無駄に反骨精神が湧いてくる。
それ、血が通ってない記事でしょ?アーティクルとしての存在価値ゼロだよね。

プレスリリースというのは元来、事務的な基本情報の羅列で良かったものが、
そのまま記事として転用できるとメディア側に都合が良かった為
その内容自体にも直接の訴求力が必要になってきた。
よってプレスリリースの文章にも作家性が求められるようになり、
それを読んだメディア側はいよいよもって、もうそのまんまコレでいいじゃんとなる
…鶏が先か、卵が先か。

まあ、そもそもそれに関する記事を載せてもらいたいからプレスリリースを出すわけで、
ほとんどは無視される中、拾ってやってんだから文句言うなという側面はあるでしょう。

でも、じゃあジャーナリズムって何ですか?
『お前はそれを宣伝したい、一人でも多くの人にそれを知って貰いたいんだろ?』
『一方、俺は少しでも多くのプレビューを稼いで、広告収入を得たい。』
『だからはお前は俺がコピペしやすい素晴らしいプレスリリースを送ってこい。』
『載せてやる。だが時間はかけない。ただお前が用意した文章をコピペするだけ。』
『ありがたく思えよ。』
それでいいんでしょうか?

いや当然、事情はわかるんですよ。ビジネスでしょうからね。
もしくは、ビジネスにしたいんでしょうからね。今はそもそも情報が氾濫してる上に、
昔みたいに印刷したニュースがブツとして売れるわけじゃないから、
アクセス数による広告収入で稼げなかったらどうやってマネタイズすればいいんだ?
というのはごもっとも。
でもこの、プレスリリースをコピペしただけの記事を極力早く出して、
ただプレビューを稼ぐ。一つにかける時間を最小化し、いたずらに記事数を多くする。
っていう運用が絶対的に肯定されてるんであれば、そもそも
マネタイズとか以前に、お前は何のためにライターをやっているんだ?
そこのルーチンワークはハナから割り切って捨てていて、
たまにあるインタビューの仕事や、特別なfeatured記事にだけ情熱をかけているのか?
多分そうなんでしょうね。
超一線級以外のビジネスには妥協がつきものですから、仕方ないんでしょう。

なお広告を掲載する代わりに、仮想通貨をマイニングさせるみたいな動きもあって
フザケた話だけど、視覚的にはマイナスがないわけだから、広告掲載に頼るよりも
ビュウワーに、よりクリーンで完璧なサイト体験を提供できる、という理屈はまあ
わからんでもない。ただ、記事読みに行ったら裏で変なスクリプトが走ってて
勝手にこっちの端末でそいつのためにマイニングさせられてるとか
たまったもんじゃないし、倫理的にそれもアリという判断が下せちゃう時点で
『なんとしてもアクセス数がマネタイズに直結しなければならない』という大前提が
重くのしかかっているというか、もうその前提を撤廃するしかないんじゃないのか?

印刷された情報誌を買う、印刷された新聞紙を買う。
最新情報が得られるということ自体、そのものにお金を払っていたわけですよね?昔は。
だから情報を文字で伝播することがビジネスとして無理なく成立していたわけで…
それが今は純粋に情報としての情報は基本的に無料になってしまったわけですから。

ある意味音楽と似たような立場でしょ。昔はタダで音楽を聴くことはできなかった。
そもそも録音物ができるより以前は現場に行かないと聴けなかったわけで。それが
生にこだわらなければデータだけでリスニングを全体験できるようになってしまったから
どうマネタイズすればいいのか迷走してるのが今で、おまけにそのデータを作るのには
やる側にとっては相変わらず金も時間も滅茶苦茶かかると。

情報得るのも音楽聴くのも昔は物質化された媒体がないと不可能だったから
その媒体を製造して売るっていうところでマネタイズできてた=ビジネスとして成立した
っていうだけだった。フィジカル媒体の存在価値が限りなく希薄になった今もう
それが成立しないんだけど、じゃあ何とか別の方法でお金生み出せれないかな?っていう
strugglingがドンドンドンドン醜いものを生み出してる気がするんですよね。

じゃあどうしろと?廃業しろっていうのか?って声が聞こえてきそうですね。
その問いに正解はありませんが、究極的にはYESだと私は思ってます。それは
本質的に何かをやめるっていうことではなくて、ビジネスの成立を諦めるという事ね。

全ての前提として、(少しでも)金になるからやる、やってるんだっていう社会通念を
弱めていくしかない。経済的な意味での成果ベースだけで存在意義や価値を見出すのは
やめにしませんか?行き過ぎた経済的合理性にNOと言うのも、オルタナティブの役割。

GVVCを普段からご覧の皆さん、ここには生の私の言葉しかないのがわかりますよね?
これは私がそこで喋っているまさにそのまんまなんです。ここに広告はないんですよ。

何も、世の中コピペまみれのメディアしかないと言っているわけではありませんし
広告掲載のメディアが全て悪だと言っているわけでもありません。
記事の独自性を保ったままビジネス強度を獲得しているメディアも当然存在します。
あくまで全体の傾向の話ですね。
独自性、作家性よりもマネタイズが先行する価値観には強く懐疑的だという事です。