Burger Records事件と係る炎上を見ての所感

Burger Recordsシャットダウンの一件と、それに係るワルシャワさん、モンチコンさんの
発言、およびそこからの一連の炎上劇についてちょっと思うところがあるので書き記します。

まず、バーガーの一件についてはこちらのポストで詳しく解説されています。
この事件の内容を抜きしても、大変有意義な所感が女性目線で記されており
すごく素晴らしい記事だと思いますので、必読でお願いします。
https://365daysofexperiment.jp/blog-entry-21.html

で、同ブログ別ポストにありますこちらの記事にはワルシャワさんのツイートについて。
https://365daysofexperiment.jp/blog-entry-20.html

オーサーの方は当該のツイートに実際凸した方のうちの一人のようです。
モンチコンさんについては、係る流れの中でこのように発言されています。

まず、問題となっているワルシャワさんの発言については、
これは絶対にしてはいけないレベルのもので、擁護の余地なし炎上不可避であることに
間違いないですので、ここではあらかじめ
この発言と内容自体の是非についてを論ずるつもりは一切ないことを断っておきます。

私はそもそもバーガーレコーズやそのリリースが特に好きでもないし、
件の再出発するという第一報を聞いたときもむしろ「は?畳めよ」と思っていた一人です。

日本でこういう音楽に馴染みのある人たちの中では、
Ducktailsの事件や直接的に国内のものだとAmetsubの事件なども思い起こす所でしょう。
性犯罪の類というのは程度にかかわらず、殺人と並び、やはり一番アウトな行いであり
可及的速やかにあらゆる世界から完全に無くしていく努力をしなければなりません。

社会が進むべき方向性としては、こういったことは一切許容してはならず、
殺人と同次元の悪逆無道な行為だという認知を遍く広めていくべきという点には同意します。
したがって、それらを軽く見積もっているような発言は確かにたしなめるべきでしょう。

しかし、です。正確には今回の件の一連においてだけに限らないのですが、
ここんとこ散見されるムード、雰囲気について大きく分けて以下の2つの論点で一言。

1.過去にはそれほど問題視されていなかったモノ、コト、それがまかり通る環境によって
初めて生み出され得た文化や芸術は確かに存在し、その存在自体を全否定してはならない。
但し、現代においてはインモラルであるため、新規には生まれるべきではない。

2.失言した第三者をヒステリックに叩きすぎ。ひいては、手前の正義を振りかざし過ぎ。

まず1.についてですが、これは時代なんです。
狩猟禁止になった動物の毛皮が使えなくなる。鯨の肉が食べられなくなる。
でも、どれだけ技術が進歩しても、その毛皮と全く同じ質感のフェイク生地は作れないし
鯨の肉と全く同じ味の食品は作れない。絶対にどこかオリジナルにしか出せない風情や
味わいってものがある。さらに、あくまでもそれを好む人々も確かに存在する。

そしてその価値、ヴァリューはこれからもずっと認め続けなければならないんですよ。
それは全く以って毛皮禁止や捕鯨禁止そのものに反対、抵抗するって事と同義ではない、
それとこれは完全に別問題なんです。

前時代的なモラルに基づいてそれが許されたその環境によりもたらされた成果物。
その環境自体を維持すべきかどうかと、その成果物は切り離して考えるべき。
奴隷に建てさせた全ての建造物ぶっ壊してないでしょ?

女に乱暴し酒に溺れ盗みを働くクズがやっていたような音楽、そして
いかにもそういうダメな奴感を醸し出す風貌と、それも込みでのアーティスト像、
存在としての評価。こういうものは当然ながら、全て淘汰されて、消滅していく。

勿論、それでいいんです。心からそうあるべきだと思うし、それでいいんですが
でも、そういうものが「かつて」あった、かつてミュージシャンや芸術家像として
そのようなものが存在し、一部は幅を利かせたりしていた、支配的だった。
前時代的で、インモラルだけれど、実際にそれが「アリ」だった世界において、
その環境とそこに疑いを持たないパーソナリティでしか生み出せなかった何か、
独特の風情、味わい(のようなもの)が間違いなくあった。それは失われるんです。

で、本当に同じ味のする代替品ってのは、モダンなモラルからは生み出せないんですよ。
生み出せなくていいんですよ?人は人殺して侵略しなくなった。奴隷制度はなくなった。
すごい進歩ですよね、明らかに前よりいい世界です。

でも今も、先住民虐殺して開拓した都市をありがたがってるじゃないですか。
奴隷に建てさせたであろう建造物を世界遺産にしてるじゃないですか。

新しく生み出されるあらゆる何かは品行方正なもの、エシカルなものばかりになる。
あらゆる理不尽な苦しみ、人権侵害が発生しない方がいいですからね。
でも過去の、今のモラルでは完全にアウトな人たちや環境が生み出したものだって
レガシーは残り続ける。再生産ができなくなるだけ。

昔はどこでもタバコ吸えたでしょ?飛行機で、電車の中で、街中で、飲食店で
子供のいる公園でも、自然の中でもどこでも皆でタバコ吸って話しながらね。
で、そういう環境、それでしか味わえない風情ってあったんじゃないんですか?
私はタバコが心底嫌いですし、幼少時から嫌悪の対象にしてましたが、
それでも、そういうロマンがあるってのは大いに分かりますよ。

でも、もうできないよね。その価値は認めるけど、時代は変わったんだよ。
とはいえ、そのような過去の環境、その中での喫煙体験に、今では味わえない魅力、
味わいがあった事、そのヴァリュー自体を全否定してはならないと思うわけ。

つまり、そういったロックやパンク、ジャズミュージシャン、DJでもいいですが、
音楽以外も、映画監督でも何でも。
女にも金にもルーズでDVセクハラパワハラ軽犯罪何でもありの、ルードで
破天荒、反社会的なアウトロー・スター像のようなものは…

今日我々が、奴隷制度や剣闘士、虐殺を伴う領土侵攻などを見るような、
過去にあったもの(過去のモラルに依拠して執り行われていたもの)で、
およそ非現実的な、今では考えられないような社会においてのみ存在したものに
今後なっていくべきだし、実際になっていく、という事なのです。

生首吹っ飛ぶコロシアムに太古の、当時の人々が熱狂したこと。
そのイメージ、それ自体は想像には難くないでしょう?
好むか好まざるか、実際の自分の欲求とは別にしてです。
私自身は、映画やゲームですら人が死んだり少しでも血が出たりするようなもの
絶対見れないし大嫌いですからね、あらかじめ断っておきますが。理解と自分は別。

柳澤さん(warszawa)があのツイートをしてしまった、その意味するところは、
鯨肉食えなくなってつまらん、どこでもタバコ吸えなくなってつまらん、
のようなノリで出てしまったものではないかと推察します。
問題の次元が違うし、完全にアウトですがね。まあ明確に謝罪出されてますし、
warszawaの屋号をもう完全に消滅させるみたいなので…。

逮捕されたり、不祥事で失脚したミュージシャンや作家の出版物を
全キャリアに遡ってあらゆる市場から全て抹消するのは本当に必要な事なんでしょうか?

さらに先鋭化させて、近年どころか数十年も前の成果物の、
作られたその過程で起きた事や、作家のパーソナリティを
今のモラルに当てはめて、成果物そのものを発禁にする。これをよしとするなら
ほとんどの大昔の名作映画とか、名盤って消滅しますよ。
公になってないだけで、あらゆる現場で多少なりとも、
今日で言うところの構造的搾取、人権侵害があったでしょうからね。

毛皮も例外なく全面禁止、それでいいと思うし、未来永劫、新しくは作られなくなる。
でも、過去に生産された高品質な、服として、アートピースとしても価値のある毛皮の外套。
そこにしかない魅力はやはりあります。何十年も持ちます。何代に受け継がれたりも。
それらの個人による二次、三次流通や個人所蔵の存在すら許さないといって
刀狩り宜しく、新たに生産されるんじゃない過去の遺物すら強制的に押収、破棄しますか?
するべきなんですか?正直、すべきと言い出す奴すら未来には出て来かねないと思いますね。

ちなみに「レイプするような奴にしかできない音楽」なんてものは勿論、当然ない。
でも、もっと漠然と、人間性がクソなヤツにしかできない音楽…
少なくともそういう、真性のクソ野郎、ダメな奴ならではのテイスト、
風情のようなものは実際に存在してて、あらゆる作品に影響している。

それを具体的に『どういう音楽』と定義・明示したり、
指し示したりすることはできないし、人間性が影響していると証明することもできない。

これは音楽だけに限らず、あらゆるアウトプットに言えることで、
人が生み出すものにその人間性や人格、染み付いた癖が影響しないわけがない。
これは検証や証明のしようがないから議論は不毛で、
いやそんなものは無いと主張する者が居るであろうことは理解できるし
そいつらを説得する気も糾弾する気もないが、
今までの人生における実感として私はあると結論づけているし、そこは譲らない。
それは肌感覚以上のものにはなり得ない。
だが反対意見も同じことで、肌感でしかないのだから、
お互いにその感覚を尊重しあって、それぞれ存在していればいいじゃないか。

ここから2.の話に繋がるけど、
今、全てにおいて自分と逆の主義主張を完全駆逐できないと気が済まない連中が多すぎる。
この風潮がすぐに内ゲバを生み出し、むしろ仲間寄りだった者達が削られ、傷つき、
辟易して、いずれ敵がかってきてしまう。それの連鎖で、分断が分断を生んでんだよ。

モダンな倫理感では間違いなくNGで、とがめなければならない
特定の問題、事象について、やらかし失言をしてしまった第三者を
実際に音楽やバンドをエサにして未成年を準強姦するような連中と、
ほとんど同一視するようなレベルで、ヒステリックに攻撃対象と認定する。

「あなた達のような意識の低い人が、この終わらない構造的差別と特権の再生産に
加担しているのだ、最前線の能動的実行犯と何も変わらない同罪だ、裁かれるべきクズだ」
と徹底的に叩き潰す。

配慮の足らない、気が回らない人達のやらかし発言に対しては
「それは間違いだし、絶対にしてはいけない発言だよ」と、たしなめるだけでは
いけないのですか?

わかるよ、その論理はわかるんだ。本気で、本当に変えようとすると道は遠すぎる。
誰もが意識高く、志を持って変えるという信念を強く持ち行動していく必要があるという
理屈はわかる。変える、という成果を少しでも早く実現することだけに主眼を置いたら
確かに、ガチガチに戦っていくべきだろう。それを間違ってると言う気はない。

でもな。誰もが戦いに向いてるわけじゃない。資本主義の強制競争社会、
“社会の役に立つファシズム”に対しても日頃から感じるけどね、
もっと本当に弱い人間のことも考えて欲しい。

差別する側、特権に甘んじ、悪意を持って行使する側だけじゃなく、
それを責める活動家も、解放を求めるリベラルも
み〜んなみんな、強い、たくましい人間をベースに考えてる。
いや私も弱かった、弱い、闇を抱えてると言うだろう?それでも、行動に移せてる、
戦えてる時点で、相対的には”強い”んだよ。
あなたよりも、もっと弱い人を責めないで。間違っていても、足をひっぱっていても。

バーガーレコーズからリリース歴のある、the boys ageが投稿してたこれ
相変わらずのブロークン英語だけど、ある意味でいいこと言ってるよ。

目を背けてしまう人達、逃げてしまう人達のことを決して叩いてはいけない。
そもそも戦えない、参加どころか眼前で起こる争いを見る事にも耐えられない人達もいる。
嫌なら見なければいい?繰り広げられる聖戦を見なければいいって?気にするなって?
それはあなたたちが叩いてる、差別や行き過ぎた個人攻撃をする人達の言い分と同じ。

最も弱い人間の立場にもなってみて、その上で全てを考えないといけないんです。
そして弱さの形というのは本当に多種多様で、加害行為すら弱さの発露である場合もある。

それは、特権や社会構造によりもたらされた弱さと、
純粋な心の弱さって言う全く別の性質が複雑に絡み合う問題だから、
前者を重視しすぎて、後者を考慮することが抜け落ちてるんだよね。
モダンな倫理感としては正論でも、正論であること自体を錦の御旗にはできないんだよ。

絶対的な正義・正論、善悪など存在しない。大体、あらゆる社会通念や仕組みだって
より多くの個体が「道理にかなう」と”認識”するようなルール、つまり多数決ベースで
かたどられているだけだからね。常に数の多い方の意見が反映されているだけ。

大昔に、領地を広げるためだけに隣に武力侵攻していたのを、野蛮だからやめましょうって
結果的にコンセンサスが取れたというだけで、別にそれが絶対的な正解というわけじゃない。
今でも殺し合いの侵攻侵略してまで領地広めるべきだと考えている奴もいるはずで、
個人としては当然反対だし、そんな奴らいなくなって欲しいが、世界のどこかには
いるに決まってる。そしてそいつらが絶対的に劣って間違ってるわけじゃないんよ。

もちろん、私やあなたは、99.9%の社会は、それは間違ってると主張しますよ?
そして彼らがそれを実行に移したり、公に喧伝煽動したら社会的制裁も受ける。
でもそれは、彼らが多数決に負けただけで、絶対的な神の審判が下された訳じゃない。

常にメタ、メタ、そのまたメタでも思考しないと。
進歩的リベラルの活動家たちが、自分たちの主張は絶対的に100%正しく、正義であり、
モラルの劣った愚民を啓蒙・更正してやるみたいな尊大な態度を改めないと、先はない。

どんなにフェアにしようと、狂人、サイコパス、反社会性パーソナリティとされる人達の
権利、幸せまでカバーしようとすると、どうにもならない。どこかに欺瞞が生じるのよ。
彼らの存在を何かしらの異常で、病気だとして扱うことすら欺瞞だから。
だから、主義主張の全ては突き詰めるとポジショントークにしかならないということを
ある意味で諦めて、受け入れるしかないでしょ。それをわかった上でやってく。

何事にもゼロヒャクはないんですよ。

どんな主張も施策も、結局自分と利害関係が一致する広義の”仲間”のためだけなのに、
主語を「社会」とか全体にすげ替えるのはズル。社会のどこかには絶対に反例がいる。
一人でもあぶれる個体がいるのなら、それは「社会」のためじゃない、お前のため。
その構図自体にそもそも気付いてないとか、自己欺瞞だったりもするんだけどね。

とにかく想像力を…、無限の組み合わせの状況、シチュエーションの個体がいる。
常に、相手の立場・思想信条に対し、リスペクトを持った上で、絶対的な正義は
存在しないという事を念頭におき、それでも”自分の幸せ”のために、主張してく。
全員がそれをやり続けていくしかない。
結局は、いかなる選択も究極的には利己的でしかないと、わかった上でね。