芸術の経済的無価値性と精神的脆弱性

私の持論ですが、芸術の中身・本質というのは
経済的無価値性 “economic worthlessness”
精神的脆弱性 “mental vulnerability”
この二つです。これはキャピタリズムとは相容れません。真逆の性質とも言えます。

にも関わらず、現実の世界では逆に
経済的価値を生み出しているものだけが芸術として扱われ消費されているケースが多すぎる。
そして、経済的価値の低い、ないし無いものがその下位互換、予備軍に過ぎないという扱い。

この辺の現状というのは広義の”文化”がすべて資本主義に絡め取られていった結果なので、
未だに新自由主義の勢力が国を動かしてるような世の中では当然なんでしょう。
つまり、抵抗が足りなかった。この認識は個人的にずっと持ち続けてきたものですが、
コロナに端を発する昨今の諸々により、今までそういう事を考えてこなかった人達にも
近い思想が広まる機運を感じるので、ここで少しまとまった解説をしようと思います。

先日リツイートしましたが、まずこの二つのツイート一連に目を通してみてください。
まずstarRoさん

https://twitter.com/starRo75/status/1245158459361787904

これ永久保存レベルで完璧な説明なので、この程度しか広まってないのがほんと
もどかしい。富士山のところの例えだけが少しイマイチだからなのかな。全部読んでね。

次に、当GVVCに度々登場するTeen Runnings / Sauna Cool金子くん

https://twitter.com/TRKANEKO/status/1245181586791751687

すごく考え方としてわかりやすく、この国に生きてる実感として同意できる内容ですよね。

そしてナインティーン、バイオメディアアーティストの齋藤帆奈さんが紹介していたこちら

坑道のカナリア—弱さの意味について—

芸術は多分に弱さ・脆さやセンシティビティを孕むものだとして広く認知されているようで、
実際のところそれは何らかの先見性、潜在的な経済価値などを伴っている(いた)ことが
是認の前提条件にある、そういう芸術観が社会において支配的だという話が出てるんですが
これはかなりクリティカルな指摘で、何とわかりやすく解説しているのだろうという内容。

SaveOurSpaceの方々、会見などでもしきりに音楽やアートっていう文化がいかに大切か、
“世の中の役に立っている”のかを訴えてらっしゃいました。(活動は当然100%支持してます)
プロジェクトの目的を考慮した上で、あの場ではその説明が必要なのも大いにわかるので、
それは全く問題ないのですが、もっと本質的な事を言うと、
“こういう風に役に立ってるから、一見、生活に影響しないように見えて実は大事なんですよ”
みたいなエクスキューズってのは、そもそもからして必要がない。

あらゆる文化、表現活動は、一切誰の何の役にも立たなくたって存在してていいんです。
“存在してていい”っていうのすら語弊がある、正確には”存在するべき”ですね。
全てのことが直接的、間接的にしろ何らかの形で社会や経済の”役に立つ”必要があるという
その前提と観念が既に間違っていて、資本主義に毒された結果です。
現代社会で何となく生きてりゃ大人になるまでの間にどうしてもそれが刷り込まれてしまう。

“そんな何の役にも立たないことをするな”
“お前は社会や経済に十分貢献していない”
このような発言というのはすべて極論、優生思想の一種とも言えます。
経済的貢献の低い人間は落伍者だ、穀潰しだ、という考えはナチスドイツと大差ない。
“人的資本”って言葉、見ただけで吐き気しますよね。

こんなだから、”LGBTは生産性がない”とか素で思っちゃう国会議員が出てくる。
ただ、この発言を躍起になって叩く人達の多くも、結局は程度の問題でしかなく、
突き詰めると同じ穴の狢でしかない可能性は十分にある。例えば
いくつもの会社を経営して雇用も生み出し社会貢献もバッチリで品行方正なAさんと
心身ともに脆弱で、誰にも評価されないアートを作り続け一切の労働をしないBさん
あなたは胸を張ってこの二人の人生、存在が完全に同価値で等しく尊いと言えますか?

これって本来は当然レベルの話なんだけど、そこに少しでも迷いが生じるならそれは
あなた、じゅうぶん優生思想がかってます。”程度の問題”でしかないんですよね。

軽々しくダイバーシティとか言うが、それがどういうことなのかもっと先鋭化して考える、
誰もがその事を精査する機会というか、タイミングが来たなとも思えます。
とにかく経済脳、合理性、数字に引っ張られることから解放された方がいい。
他者の作品、発言、あらゆるアウトプットを受容するとき、その評価指標として
そいつのフォロワー数や経歴、稼げてるのか等を加味するべきではないんですよ。

芸術の中身っていうのは経済的無価値性と精神的脆弱性なんです。