インディ聴いてる時点であなたは既に、政治的

突然ですが皆さん、インディ好きですか?
インディの音楽とか聞いたり、イベントとか行ったりします?
でも政治・経済にはあまり興味ないですか?SNSでも政治色のある投稿をしないよう
心がけてます?友人や恋人、家族との会話でも、そういった話題は避けますか?
特定のイデオロギーに肩入れしているように見られるのが嫌だからですか?もしくは
興味なくはないけど詳しくないし、何言ってもスグ叩かれそうだから
極力、首突っ込まないようにしているって感じですかね?ふんふん、自己防衛ですか。
ノンポリでいるのが波風立たずに済んで一番いいですよね!

あの、すいません、インディ聴いてる時点であなたは既に、政治的です。

#SaveOurSpaceを支持したあなたなんて、更にとんでもなく政治的です。

この国では、現代の資本主義においてそもそもその存在自体が政治的であるはず
(後述します)のインディ界隈ですら、
音楽の話を、少しでもこういった方向へ広げて展開すると即座に
やれ「政治がかっている」などと騒ぎ出す方々がおりますが、人が生きる上で
真のノンポリを実践するというのは到底、不可能であるということを話します。

まず今の自由経済、資本主義の大前提に目を向けましょう。
みんなが自由な意思で欲しいモノを選び、自由にお金を使った結果として
相対的に需要の少ない、市場競争力が低いものは淘汰されて然るべき、というのが
この世の中にのさばっている経済システムですからね。

市場経済的な自由競争に勝てなかったものは、原則的には守られないんですよ。
あらゆるモノ、人が生まれながらにして強制的に競争させられてるんです。
それも、お金(数字)が稼げるか、という唯一点においてのみの競争です。

ならばこの文脈において、インディ音楽も、もっとメインストリームの大衆音楽や、
大資本の息がかかった音楽より「価値が低い」ものであるというのは明白ですよね?
リスナーの絶対数イコールお金を生み出す力が(相対的に)弱いんですから。

「お金を生み出す力」はもちろんゼロかヒャクかの話ではありません。
でも今の世の中がこれを基準にして動いているというのは事実です。そして誰もが
このシステムを当然のものとして受け入れている、受け入れるように強いられている。

その中で生きていると、数で支配しているモノが即座に優れているモノなのだと
錯覚してしまうんです。いえ、それは錯覚などではなく、資本主義が提示している
価値観そのものといえるかもしれません。貨幣による、容赦ない多数決なんです。

そうなってくると個人の趣味趣向というのもそもそも、人との出会いやビジネスチャンス、
意気投合(共通言語)の機会創出、つまり将来的によりお金を生み出すきっかけの種まき
という観点では、マジョリティに寄せた選択をする必要性が出てくるんですよ。

だって社会にそれ(少しでもより多くお金を稼ぎ、使う事)を求められているんですから、
テレビで流れるJ-POPを聴き、テレビで宣伝される映画をみて、ディズニーランドに行く…
これが経済的には最も合理性のある選択で、市場経済に最適化された人物像です。
市場競争において、マイノリティ側に付く、経済的なメリットが無いわけですからね?

なのになのに、日頃からインディ音楽を聴いているあなた!
コロナ休業を乗り切れる資金的な体力のないライブハウスや
映画館、あらゆるスモールビジネスを守れという声に、賛同しているあなた!
それが、その選択が、主張が、どういうことなのかよ~く考えてみましょう。

常日頃から『経済的』な『合理性』をもった選択をし続けましょう!
『資産価値』が低下しない土地に『最適化』された家を建てましょう!
忙しいあなたには『時間効率』のためにも全てを『IoT』にするのがオススメです!
積極的に『自己投資』をし、『労働資本』としてのあなた自身の
『市場価値』を高めるため、余暇は賢く『効果的』に使いましょう!

どうです?これだけでイライラしませんか?「虫唾が走る」ってレベルではないですか?
でもこれ、今の社会に、世の中に、基本的には是として捉えられている価値観ですよね?
明らかにその世界では、インディやオルタナティヴは鳴らされていないし、
単館系映画は上映されていないでしょうね。個人の小さな店は存在を許されないでしょう。

音楽に限らず、あらゆる「金にならない文化」を選択的に嗜好している皆さん。
「資本主義」が唯一解の絶対正義で一挙手一投足に経済的合理性が求められる社会なのに
あえて非合理な方を、「好み」という漠然としたもので選んでいる自覚を持ちましょう。

どこまでも自己責任論の拝金主義、際限ない格差を、なんだかんだ容認する社会に対して
いやいや、もっと経済的に合理性のないものも、競走に負けるものも守っていきましょう!
という態度をとること、またはそういったものを単に選択し嗜好する、消費すること自体
それはつまるところ多分に政治的メッセージたり得ます。反体制的なね。

逆に、上で挙げたようなモンスターコンテツ、あらゆるメインストリーム文化や
大企業のサービス、プロダクトばかりを消費する人たち。
量産型に鈍感で、煽られるがまま大資本に(無意識下に)献金する人たち。
それは、積極的ではなくとも、この拝金主義の再生産に加担していることになります。
それもつまるところ多分に政治的メッセージたり得ます。無自覚でもね。

もちろん、このどちらかに100%振り切れている人間などいないでしょう。
誰もが、生活の中で、ある選択においては前者、ある選択においては後者だったりする。
日常的なあらゆる行動が「拝金主義再生産ポイント」と「反・拝金主義ポイント」の
どちらかとなり、ミクロな一票として市場経済に投じられるているんです。

個人経営のレコードショップで今日び、わざわざ記録媒体のソフトを購入し
それを自宅で物理的にプレイしては、数十人規模のイベントに足を運ぶ…
こういったライスタイルはある意味、恐ろしく政治的で、反体制的です。
それが強く政治的意図を持った自覚的な選択では一切ないとしてもです。
なにも週末に座り込みやデモ行進に参加する事だけが政治活動ではないんですよ。

あなたがコンビニで何を買うかがすでにミクロな政治活動と言えますし、
そもそもコンビニを利用するかというところでも政治的選択が発生してます。

ともかく、言語化して消化した先にだけ「魂の選択」があるわけじゃないんです。
むしろ、無自覚・無意識下の方が多いかもしれないくらい。

いまだに芸能人やミュージシャンによる政治的発言の是非とかで論争が巻き起こる国だから、
基本ノンポリ姿勢でいることをパッシヴな信条にしている人たちも依然多いと思うし
それがリスクヘッジなのは勿論わかるんだけど、流石に今ちょっと状況が変わってきてて、
拝金主義が推し進められ過ぎた弊害で、膿がたまりきってて社会が限界になってるんです。

ノンポリ=現状を受け入れる、今を是認する(消極的にとはいえ)ということなので、
ノンポリでいたいと思う事の方が今時、もはやリスクが高いという考えを持って欲しい。
考え直して欲しい。

現代社会に生きている限り、真にノンポリでいることなど実際には到底不可能である
ということ、そしてそうである以上は
自らの政治的(経済的)スタンスをある程度自己規定し、それを自覚した上で生活して
日常的に立ち振る舞うことが必要なんです。反・拝金主義のレジスタンスとしてね。

コンビニやamazon、楽天を一切使わない、グーグルやアップルに一切金を落とさない、
テレビ局や大手芸能プロ、大手広告代理店などの息がかかったものはすべて無視する。
プラットフォーマーのビッグデータ・コレクティングには絶対に協力しない…
流石にこれらすべてを完全に徹底して実践するのは難しいところがあるでしょう。
でもゼロかヒャクかじゃない。方向性はこれです、出来るだけこの方向性を念頭に置くこと。
少なくとも可処分所得は極力スモールビジネスに、地元に、個人経営のものに使うこと。

インディを、その他あらゆる「金にならないもの」を愛する皆さん。
何かを消費するときに、そのお金はどこに流れるのか、後ろにいるのは誰なのか
出来るだけこういったことに気を配りながら、それぞれの日常を送りましょうよ。
一人一人のミクロな消費行動とその意思決定が波紋のように遠く遠くまで響いて、
この社会をかたどっているんです。もっと我々が生きやすい世の中にしたいと思いません?

行き過ぎた資本主義、新自由主義にを明確に批判することは全く以て危険思想じゃない。
即座に共産主義やその負のイメージを持ち出してヤバイ話みたいに扱う風潮がまだまだ
支配的だけど、それは現行のシステムで一人勝ちできる連中が優位性をキープするためにする
都合のいいポジショントークにまんまと乗せられているだけ。

今までのものとは違う、何かしらの真にオルタナティブな道が絶対に必要で、
それは多分に社会主義的と言える政策や思想も含むものかもしれない…でも、それしかない。
バーニー・サンダースが説いてるような民主社会主義に近い、何かもっとモダンな、
とにかくエシカルで極限までに人道的な経済システムの社会に漸進的に変えていくしかない。

このコロナショックに端を発するすべての流れのなかで、そこらじゅうに溢れる欺瞞や
不条理がどんどん炙り出されて、今まで目覚めていなかった人達が開眼するキッカケに
なったのであれば、ある意味これはむしろ歓迎できる劇薬とも取れるし、だとしたら尚更
来るべきパラダイムシフトを起こせるように、語ることをやめてはならないんです。

全部を知らなくても、間違ってても、ニワカでもいい。誰もがある程度は政治的になる
って事が重要で、全員が意見とスタンスを持ち、そこかしこでそれに基づいた議論や
小競り合いがもっともっと発生したらいい。ただそこで、真逆の意見を持った相手も
決して人非人のように扱わず、過剰に攻撃的にはならない事が重要だと思います。以上。